■生後間もなくてんかんの発作と脳性麻痺に苦しめられてきた孫
苦悩の日々 ほっとプラザ(周南PLAZA)2010年07月号掲載
孫の美華は、生後七ヶ月の頃に、初めて、てんかんの発作がおき、その後、激しい発作が一時間位、月に何度も続くようになりました。いろんな病院に行き、検査・治療をしましたが、どんどん病気は進行し、脳性麻痺もひどくなっていきました。
二・三歳の頃までは、「愛しているよ」や、両親の名前を言ったり、犬のおまわりさんの歌を歌ったりと、言葉を喋っていましたが、発作が起こるたびに、どんどん喋れなくなっていきました。
そんな美華を介護するのが辛くなったのか、美華が小学校に入学する六歳の時、美華の入院中に突然、母親が蒸発。私達夫婦と息子で美華を育てることになりました。
同時に、主人の肝臓ガンも発覚。私は二人の介護をしないといけなくなりました。私自身も中学生の時に交通事故に遭い、左足を切断しているので、あまり無理ができません。
主人も私も精神的にも肉体的にも限界のところに来ていて、どちらかが美華を道づれに・・・などと、恐ろしいことを考えていました。そんな時、斎藤恵子先生のことを知人に教えてもらい、すぐに予約をとりました。
奇跡がおこった!
斎藤恵子先生は、美華の顔を見られて「苦しそう」と言われました。私は足が悪く、美華が暴れたら手に負えず、追いかけることも出来ないので、かわいそうですが、移動の際には、無理やり車椅子にベルトで動けないように縛り付けて乗せていました。
この事が、苦しい原因だと思ったのですが、斎藤恵子先生は「この子は頭の中を痛がっています」と言われました。てんかんの発作はあまり苦しまないと病院の先生に言われていましたが、本当は頭が痛くて悲鳴をあげていたのです。
言葉に出して言えないから泣くしかない。それがわかってあげられなかったことが申し訳なくて、涙がとまりませんでした。
お祈りをして頂くと、痛みがとれたのか、今まで見たことのないような笑顔を見せてくれ、暴れることもなく、とても落ち着いていました。
斎藤恵子先生から、「死にたいなんて思わないで」と、私達夫婦の気持ちを一言もお話していなかったのに全てわかっていて下さいました。そして、あの子の身になって考え、前向きに生きていこうと思えるようになりました。
その夜、偏食がひどく、今まで口に出来なかったお寿司を食べることができました。本当に奇跡です。
本当に神様・主イエス・キリスト様・斎藤恵子先生に感謝の気持ちで一杯です。助けて頂いて本当にありがとうございます。寿命がある限り、あの子のそばにいさせてほしいです。教会に来れたことを心から感謝しています。これからも教会に通わさせて頂きたいです。
荒井美華さんと斎藤恵子先生