待望の娘、のぞみと虐待の日々 周南PLAZA2008年11月号掲載
私は子供をなかなか授かることができず、人を羨ましがり、自分をずっと責め続け何度も泣き、生きていても仕方ない・・・と思っていました。そんな私に待望の娘が生まれてからが大変な毎日でした。とても神経質で泣き声も大きく、一時間も寝れない子で、首のすわりも遅く、周りの子と比べ全てにおいて劣っていると思い込んでた私は、娘に対し、ひどい母親になっていきました。
娘の誕生後、二人の息子も授かったのですが、娘にだけ《叩く・蹴る・物を投げつける・突き飛ばす》を毎日のように繰り返し、友人から「のぞみちゃんにだけ、口調がひどい・顔つきが怖いよ!」と注意される程で、そのせいか娘は何かを手に持つ時に手が震えました。段々と娘に横にいられる事さえも嫌になるほど異常になっていました。
娘は小学校に入学しても計算ができませんでした。娘を叩きながら宿題をさせても泣くばかりで一向に前に進みません。「まぁいいか、離婚して家を出たら私には関係ないし」と思うようになり、それを口に出して言い始めました。娘はいつも「出て行かないで」と泣き叫んでいました。
斎藤先生との出会い
その頃、私はジャザサイズのインストラクターになるという夢を持ち、家庭をかえりみず全てをかけていました。毎晩、小さい子供達が泣くのも無視してレッスンに行き、とにかく自分の事が一番!周りの事は気にもしませんでした。友人経由で斎藤先生を知り、生理がとまり、顔のゆがみが気になっていたのでケアを受けると顔のゆがみが治り、先生は凄い!と感動。
その後お祈りを受け、教会に通うようになり、娘もすぐ一緒に通うようになりました。お祈りの前に先生は必ず「懺悔をしましょう」と言われます。最初は何を口にして良いのか分かりませんでしたが、回を重ねる度に隣に座っている娘が生まれた時からの事を思い出し、なぜ大切にできなかったのだろう。授けて頂いた命を大切に思えず、愛しいと思えなかった。抱きしめてあげられなかった・・・と悔いました。
ある日、車で子猫をひいてしまった時に狂ったように「ごめんなさい」と泣き、自分のした事が耐えられず、早朝礼拝に通うようになりました。そして、毎日先生のお話を聞きながら泣き、自分のことしか考えられなかった私は、子供達の事も考えるようになり、息子達も教会へ通うようになりました。
娘がテストで
斎藤先生にお会いしたのは娘が四年生の時。斎藤先生にお渡しした感謝の手紙は句読点がない字の塊で全く読めず、恐怖にかられた字と斎藤先生がおっしゃって「この子に幸せになってほしい。知恵を与えて下さい」と祈って下さいました。また「一年生の算数からもう一度やってみたら?」と言って頂き、それから段々と「今日発表したよ」と話してくれるようになり、先日の六年生の算数のテストで100点をとり、字もきれいに上手に書けるようになりました。
変わっていく私を見て母が大感激し、母も祖母も教会へと通うようになりました。八十九歳になる祖母は、平成十六年にアルツハイマー型認知症と診断されましたが、先日、主治医から「段々と良くなっているね」と言われ、家族の誰よりも元気です。
先日、斎藤先生が「幼稚園を作りたいの」と話されました。娘の夢は保母さん、息子の夢は大工さん。いつも、喧嘩の絶えなかった私達家族は、四世代とても仲良く幸せに暮らし、毎週教会の礼拝へ行き、斎藤先生から神様・主イエス・キリスト様の暖かい愛を沢山学びました。
人を許す心、愛する心、感謝する心を学び、自分のいけなかった事に気づき、新たに生れ変わる事ができました。全て、神様・主イエス・キリスト様・斎藤先生のお陰です。本当に心から感謝しています。ありがとうございます。
斎藤恵子先生とのぞみさん