周南PLAZA掲載の奇跡体験 2008

■難病と大量の腹水に苦しむ日々

■娘に対し、ひどい母親でした

■苦難を乗り越え、新しい生命にめぐり会えました

■生きる希望が無く死を覚悟しました

■息子が「筋緊張性ジストロフィー」と言われ…

■ひどい便秘と腸閉塞

■医師からの宣告「二分脊椎症 及び 内反足」

■抗がん剤、2リットルの胸水

■ぎっくり腰が一回のケアで…

■ぜんそくの発作に悩む毎日

■市民検診で癌発覚

■小さな子供が受けた死の宣告。

■小さな子供が受けた死の宣告。

いのち羽ばたき、今走る!                    周南PLAZA2008年1月号掲載

 平成18年4月に嘔吐・下痢が続き、病院で検査しました。「脳腫瘍」と診断結果。まだ子供なのに開頭手術を3回も受けたのです。抗がん剤の点滴・放射線治療・手術。以来、後遺症で平衡感覚がなくなり、車椅子の生活になってしまいました。

 

寝返りでさえもできないのです。約1年間、入院治療を経て、翌2月末に退院。もう大丈夫と思っていました。あれだけ手術をしたのですから。が、またもや子供に悲劇が待っていました。同年8月の検査で【脳腫瘍・脊髄転移】の再発が確認されたのです。主治医から

 

「もう年をこせないかも知れません。好きな事をさせてあげて下さい。」

 

という宣告でした。これ以上、この子に辛い思いはさせたくない。家に連れて帰って好きな事をさせてあげよう。入院せずに、通院治療をすることを決意しました。週1回通院して、採血検査と輸血の繰り返し。投薬は、抗生剤・けいれん止め・ステロイド・胃薬。

 

これだけでも小さな身体にはとても負担です。代われるものなら代わってあげたい。なんとかこの子を少しでも楽にしてあげたい。そんな時、女性セブンで斎藤先生を知り、すぐに予約をいれました。平成19年10月28日、初めてケアを受けた日です。

 

いつまでもそばに…

 退院してからずっと車椅子の生活でしたが、受け続けて11月末からは歩けるようになりました。学校でも教室移動以外は歩き、以前の状態からはとても想像できません。

 

今も毎週、博多から新幹線で通ってケアを受けさせて頂いております。ぶしつけなお願いですが、斎藤先生が我が家で暮らして下さって息子のそばにずっといてもらえないでしょうか?

 

走れ、うりゅうくん

 白血球が1000から3000に、血小板は3万から9万へ。赤血球(Hb)は6〜7が10から11と、数値がどんどん上がっていき、みるみる元気になりました。学校でも病院でもすごくびっくりされています。

 

12月初め、頭のMRI検査をしたところ、腫瘍は若干大きくなっていました。「ゴハン食べられますか?」「ええ、食べています」「えっ????」腫瘍はあるのに、手のしびれ・麻痺が全く進行していないので、主治医の先生は非常に驚いていらっしゃいました。前例がなく、普通では考えられないからだそうです。「年内は病院に来なくていいですよ。」今後の治療方法の説明もありませんでした。

 

12月23日は息子の誕生日。迎えられるか心配だったのに、こうして元気で迎えられて本当に神様・主イエスキリスト様・斎藤先生に感謝の気持ちで一杯です。先生が最初のケアの時、「うりゅう君、走れるようになるよ!」とおっしゃいました。

 

今、本当に小走りができるようになったのです。奇跡はないと思っていましたがありました、ここに。本当に感謝しています。私達親子のように、病院で見離され悩み苦しんでおられる沢山の方に、この奇跡を教えて差し上げたいです。是非、斎藤先生の元にいらして下さい。助けて下さいます。

 

脳腫瘍 渡辺羽琉(わたなべ うりゅう)くんとエンジェルの先生