周南PLAZA掲載の奇跡体験 2008

■難病と大量の腹水に苦しむ日々

■娘に対し、ひどい母親でした

■苦難を乗り越え、新しい生命にめぐり会えました

■生きる希望が無く死を覚悟しました

■息子が「筋緊張性ジストロフィー」と言われ…

■ひどい便秘と腸閉塞

■医師からの宣告「二分脊椎症 及び 内反足」

■抗がん剤、2リットルの胸水

■ぎっくり腰が一回のケアで…

■ぜんそくの発作に悩む毎日

■市民検診で癌発覚

■小さな子供が受けた死の宣告。

■息子が「筋緊張性ジストロフィー」と言われ…

息子が、難病に                        周南PLAZA2008年8月号掲載

 私の息子(二十二才)は、長年行ってきた歯の矯正後、顎の手術の為に、平成十九年二月に三重大学病院へ入院しました。手術前検査時の病棟が、たまたま神経内科との混合病棟で、入院の翌日、神経内科の回診の折、担当医が息子をひと目見て「これは!」と思われ、すぐに私達両親への呼び出しがあり、「疑われる病気があるので検査をしたい」と病院側から申し出があり検査を受けました。

 

病名は「筋緊張性ジストロフィー」でした。ショックのあまり声も出ませんでした。息子は親元を離れ、大学生活を送るために寮で一人暮らしをしており、自覚症状もないので、四月には、学校に戻りました。その後、いつも連絡があるのに段々連絡がなくなり、五月の連休に心配で寮を訪れた所、あまりにやせ細っていたのにびっくりしました。口数も少なく「学校までの行き来がしんどくて、食事もしたくない」と。これではいけないと思い、自宅に連れて帰りました。

 

家では、足が痛いと毎日さすってやる日々でした。この病気は、遺伝子が正常の形より長かったり、形が整っていなかったりというもので、それがわかったのが、十年程前のようです。

 

現在も大阪医大で研究が進められ、症状(歩けなくなったり、筋力がなくなる)を抑える薬はすでに出来ており、今はそれをもっと効果を高く経口薬や座薬等のように自宅で服用が出来るよう研究されていますが「完全に治す薬はなく遺伝子レベルからの治療は大変難しい」と大阪医大の先生はおっしゃっておられました。私は、どんな事をしても自分の命に換えても息子の病気を治してやりたいと私の命のある限り息子を守りたいと、泣き苦しむ日々でした。

 

真っ黒なウンチが・・・

 「お前がそんなんでどうする。元気で明るいお前が息子に生きる力を与えてやらないでどうする!」との夫の叱責に目が覚めたと同時に行きつけの美容院で見た女性セブン。斎藤先生の記事を見た途端、気になって、気になって・・・頭から離れなくなり予約を取り十一月末に初めて先生にお会いしました。最初のケア後、ホテルで真っ黒なウンチが出た事に驚き「この先生、なにか有る!」と感じました。

 

毎月ケアして頂き、教会や自宅でイエス様のことを思いながらお祈りしていくうちに、この病気の特徴の顔の表情がなくなり首の筋肉が衰え頬の肉も下がっていたのが徐々に頬の肉が上がり表情豊かに。初めは足が痛くてたまらなかったのに痛さもなくなり、又、一人で新幹線に乗るなんて考えられなかったのに何回目からは一人でケアを受けに行けるようになりました。

 

今では好きな中日ドラゴンズの応援にナゴヤドームへ行ったり爆笑ライブを見に行ったりしています。あのまま先生を知らずにいたら…と思うと怖くなります。

 

良くなって来ている息子を見て嬉しくてたまりません。先生、イエス様に出会えたことは「幸運」です。多くの人達が知らないまま苦しみ死んでゆくのです。心から感謝しています。私達の経営する会社も「どうして?」と思うほど良い人材や堅い企業からの仕事が次々に舞い込んで来ています。斎藤先生に「祈りなさい、人を憎まず、とにかく祈りなさい。」と教えて頂き、毎日イエス様のことを思いながらお祈りしました。

 

この恵みを一人でも多くの方に体験してもらえるよう、これからも一生懸命、働き、人を愛し、そして笑い、そして祈っていきます。神様、主イエス・キリスト様、斎藤先生、本当にありがとうございました。

 

斎藤先生と酒井洋介さん