周南PLAZA掲載の奇跡体験 2007
■腹膜透析の十年間。何年も出ない尿。死ぬことばかり考えていました。
■曲がった指、体中の間接の痛み。長かったリウマチの苦しみが、もう!
■内臓破裂、飛び出した病院。手術もせずに完治した亀裂、血腫、打撲跡。
■大量に解毒鎮痛剤を飲んで薬物中毒症状。生き長らえた小さな命
■腹膜透析の十年間。何年も出ない尿。死ぬことばかり考えていました。
■曲がった指、体中の間接の痛み。長かったリウマチの苦しみが、もう!
■内臓破裂、飛び出した病院。手術もせずに完治した亀裂、血腫、打撲跡。
■大量に解毒鎮痛剤を飲んで薬物中毒症状。生き長らえた小さな命
一度目の奇跡 周南PLAZA2007年10月号掲載
現在、七十三歳の母は腎臓透析をはじめて二年目になり、今は三日に一度透析をしています。二年目の定期健診で、大腸癌の疑いがあることが判りました。
《平成十九年五月十六日》
主治医から精密検査をすすめられ(上行結腸癌、盲腸癌、多発肝転移)という結果がでて、あまり長くないと言われました。
《平成十九年五月十七日午後八時頃》
下剤を飲んでも便が出ず、ご飯は、おかゆしか食べれなく、どんどん体が衰弱していきました。「母の意識がなくなり容態がおかしい」と父から電話があり、すぐ実家に駆けつけました。母は意識がなく、まるで死んでいるようでした。
急いで出張されている斎藤先生へ電話をし事情を説明すると、すぐにお祈りして頂く事になりました。母の手をしっかり握り、一回目のお祈りをして頂き母の耳元で二回目のお祈りをして頂きました。すると、突然意識のなかったはずの母が上半身を起こし話かけてきました。父も私もびっくりし、一度目の奇跡の体験をさせて頂きました。
《平成十九年五月二十三日》
病院から握りこぶし位の癌が腸を上下から大きく塞いでいる状態で便が通る場所がなく腸閉塞で死に至ると説明を受け、即検査入院し、「手術をすすめます」と言われ、とりあえず入院することにしました。
《平成十九年五月二十八日》
一度は入院させたものの、体力もないし薬漬けになっている母を見ていて、とても心配でした。主治医に「このままほおっておいたら二日の命です。私に任せて下さい。大丈夫ですから。」と言われましたが「透析もしているし肝臓にも癌があるし、こんなに弱っている体で命の保証はできるのでしょうか?」と尋ねたところ、「命の保証は、わかりません」と言われたので手術を拒否し退院させることにしました。
その際、「私の言う事を聞かないのなら救急車で運ばれてこられても二度と診療しません。それでもいいですか?」と言われ目の前が真っ暗になり、助けて下さるのは斎藤先生しかない!と思いました。
二度目の奇跡
《平成十九年五月三十日》
病院で手術の為に薬漬けになっていたせいで急に血圧が上が六十まで下がり息をするのが困難になりました。すぐに「祈りの家」の教会に連れて行き、斎藤先生のケアを受けました。連れて行った時は歩くことさえできなかった母でしたが、帰る頃には血圧が正常に戻り、食べることもできるようになり、ひとりで歩くこともできるようになりました。
下剤なしでは出なかった便もびっくりするほど出て、二度目の奇跡の体験をさせて頂きました。これもすべて主を信じる心があったから、二度も命を与えて頂くことができました。改めて斎藤先生を通じて主の力の偉大さを心に深く実感することができました。感謝と喜びの気持ちで、いっぱいになりました。
病院で大腸癌と腸閉塞と言われ、二日の命と言われてから四ヶ月あまり経ちますが元気な毎日を過ごしています。先日、病院で腸の検査を受けた診断結果が「癌」から「癌の疑い」にかわり、エコーを見ただけで腸が広がり癌が小さくなったことがわかりました。
健康になり以前は、お腹の上から癌を触ってわかる位の大きい塊でしたが今ではピンポン玉位のような大きさになりました。普通の食事を食べても便が出るようになり、下剤を飲まなくてもよくなりました。心から感謝致します。本当にありがとうございました。
二度の奇跡を体験した大島さん (中央)
承諾書と診断書