周南PLAZA掲載の奇跡体験 2007

■手術を受けずに血腫が消失した祖母

■孤独が怖かった日々、毎日死ぬことばかり考えていました。

■二度も奇跡を体験し、命を頂いた母

■腹膜透析の十年間。何年も出ない尿。死ぬことばかり考えていました。

■曲がった指、体中の間接の痛み。長かったリウマチの苦しみが、もう!

■内臓破裂、飛び出した病院。手術もせずに完治した亀裂、血腫、打撲跡。

■大量に解毒鎮痛剤を飲んで薬物中毒症状。生き長らえた小さな命

■うちの子は部分肺静脈還流異常症と肺動脈弁狭窄症でした。

■脳腫瘍。ここを知らなかったら、ずっと痛いままと思っていました。

■薬の副作用で寝たきりで動けなかったわたしが良くなった理由

■血管性紫斑病我が子を容赦なく苦しめた病

■うちの子は部分肺静脈還流異常症と肺動脈弁狭窄症でした。

心音に雑音                        周南PLAZA2007年4月号掲載

 うちの玄記は生まれて一週間後、病院で心音に雑音があると言われました。検査に行ってくれと言われ、調べてみると心臓に穴が飽いていたことが分かったのです。

 

「塞がるから」と、半年毎に定期検査に来るようにと言われました。そして子供が八ヶ月になった時、こう告げられました、「肺動脈弁狭窄症です」。

 

心臓の血管が異常に細く、血液の流れの速さが通常二〜二・四m/一秒に対し、うちの子は二・四〜三m/一秒になっていました。簡単に言うと、「スーッ」が「シャャャーッ」という感じです。

 

五つになっても定期検査を受けていたのですが、心臓が肥大しているから広島で検査をするようにと言われました。診断の結果は部分肺静脈還流異常症。

 

カテーテルを入れるから入院の手続きをするようにと言われました。股関節のところから心臓まで管を通すということだったのですが、その間寝返りもできないし、動くと激しく痛む。じっとしない子供には無理だと思いました。

 

初めてのケア

 昨年の夏頃にエンジェルに行きました。初めて先生にお会いしたのはザ・モール周南でした。「誰でも来れるんよ、ケアするから連れておいで」と言われました。ここなら安心、と思ったのです。

 

連れて来るまで玄記は顔がふっくらむくみ、いつも「しんどい」と言い、カゼをひくと必ずといっていいほど一週間は保育園を休んでいました。

 

ケアを受けさせたとき、先生がちょっと触っただけでも痛がっていましたが、三〜四回受けさせ、明らかに変化が。少し動いただけでも疲れていたのが、はしゃげるようになったこと。ゴハンを人一倍食べられるようになったこと。カゼをひいても休まなくなったこと。

 

玄記くんハイッ!

 先生からレントゲンを受けた方がいいと言われ、病院に行きました。聴診器を当てた時、返ってきた言葉は「雑音はありません」。もう、シャャーッという音はしません。もちろん、レントゲンにも異常はありませんでした。

 

この子が三歳になるまで二時間毎に起こされてはミルクをあげていましたが、今から考えると血流が異常に早かったから疲れやすく、沢山飲むことが出来なかったんだなと、ふと思いました。今では超がつくほど元気。先生と三人で撮った写真のまんまです(笑)

 

ウルトラマンが大好きな玄記くん(写真中央)とおかあさん(右)