周南PLAZA掲載の奇跡体験 2007
■腹膜透析の十年間。何年も出ない尿。死ぬことばかり考えていました。
■曲がった指、体中の間接の痛み。長かったリウマチの苦しみが、もう!
■内臓破裂、飛び出した病院。手術もせずに完治した亀裂、血腫、打撲跡。
■大量に解毒鎮痛剤を飲んで薬物中毒症状。生き長らえた小さな命
■腹膜透析の十年間。何年も出ない尿。死ぬことばかり考えていました。
■曲がった指、体中の間接の痛み。長かったリウマチの苦しみが、もう!
■内臓破裂、飛び出した病院。手術もせずに完治した亀裂、血腫、打撲跡。
■大量に解毒鎮痛剤を飲んで薬物中毒症状。生き長らえた小さな命
自分で呼んだ救急車 周南PLAZA2007年6月号掲載
3月29日の夜、 原因は明かせませんが事故に遭い、腰から足にかけてひどく腫れ、左目のまぶたがザックリ切れました。お腹全体もぼっこり腫れ上がり、息も絶え絶え。吐き気とめまい、尋常でない痛み。あまりにも苦しくとてもガマンできなくなって、自分で一一九に電話したのです。
搬送先の病院で検査を受けました。レントゲンとCTスキャンによる診断の結果、腹腔内出血、肝損傷、脾損傷、左側胸部打撲、顔面打撲。いわゆる内臓破裂。絶対安静で病院で一晩過ごしたのですが、大きな病院へ今すぐ移らなければならないといわれました。
あまりにもひどく、ここで手術することができないからという理由です。が、どうしても病院を移りたくありませんでしたし、手術もしたくありませんでした。家に小学生の娘をひとり置いて来てとても心配だったのです。
「入院したらエミ、どうしよう?」子供のことが心配でなりませんでした。ベッドから一切動くことを禁じられ、トイレもままならない状況だったからです。決心しました、なんとかして病院を出ようと。救急車に乗せられる直前のことです。
「助けてください」
もちろん、病院は反対しました。即手術をしなければならないし、それを断って帰宅するなんてもってのほか。命に関わるからです。「わたし以外子供を面倒をみる人がいないんです、娘ひとり残して家を空けられないから帰らせてください。」
必至で懇願すると条件付で承諾してくれました、代わりに一筆書くようにと。そして書きました、自分の意思により、外出します。死んでもいいです、と。何かあったら、すぐ電話するよう強く言われました。一時帰宅ということでカテーテルをさしたまま、タクシーで自宅に帰りました。
帰ったところで痛みが癒えるわけではありません。動けず、ただ寝ているだけでした。電話にはすごい着信。ほとんど病院からでしたが、ずっと無視。娘が心配そうに横にちょこんと座っていました。この娘にはわたししかいないんだから…。痛くて、苦しくて、苦しくて。布団の中でずっと祈っていました。「助けてください」
手術していないのに…!
わたしもきっと良くなる、そう信じていました。教会に通って数年になりますが、病気が治ったことや悩みが解決した事を目の当たりにしてきたからです。
普通、運動できる状態ではないのに、せめてお花だけでもと、自ら車を運転して向かった先は教会。時間的に開いてないと知っていたので、玄関前に「内臓破裂しました。助けてください。」とメッセージを添えて置いてそのまま帰りました。でも、途中でパンク。
事情を話し、声を聞く安心したのかふ〜っと、こわばった身体が解けていくような感じがしました。すると、身体のあちこちの腫れがひいてきたんです!少し身体を動かしただけでも痛かったのに、全然!側の二人もわたしの変化に驚いていました。
四月に入って別の病院でレントゲンを撮ってもらいました。腹部の出血もみられず、異常なし。痕が残るといわれていたざっくり切れていた左まぶたも跡形もなく塞がり、視力が落ちるとも言われていたけど、この通り問題ありません。そうです、結局手術をしなかったのです!
花を置いていった日の夕方、先生だけでなく、礼拝に来ていた方達みんなでわたしのことを祈ってくれたと聞き、とてもうれしかったです。苦しく、尋常でない痛さの腫れもなく、出血もなく、アザもなし。
しかも電話の声を聞いただけでよくなるなんて!本当に苦しい、心から助けてほしいと思ったとき、救われるのだと改めて知りました。先生、そして祈ってくれたみなさん、本当にありがとうございました。
すっかり元気になった原田さん(写真右)
病院でもらった診断書