激しい痛み 周南PLAZA2009年05月号掲載
十五歳の時、激しい痛みで一晩寝られなくなり病院へ行き、卵巣の悪性の病気である未熟奇形腫と診断されました。その腫瘍は三つあり、腫瘍マーカー悪性の腫瘍であることを示す数値でした。
その後、手術をし、腫瘍はきれいに取り除いたのですが、もし転移をしていたらいけないと、予防のために抗がん剤治療を始めました。
その後、無事に抗がん剤治療を終え、学校に通えるようになったのですが、副作用の為、髪の毛が抜けてしまい七ヶ月間、かつらをかぶり学校に通いました。
復学して四か月後に、体育でのマラソンで走った後、十五分程、激痛が続きました。はじめはそんなに気にしてなかったけれど、週何回かある体育で毎回痛くなり、自分でも不審に感じていました。
そして、月に一回ある検査で、皮様嚢腫かもしれないと診断されました。どうして抗がん剤治療までしたのに…と思い、辛い毎日でした。その痛みを言えば心配されることが分かっていたので、誰にも言えず三か月が過ぎました。毎回検査をしても良くなる経過は見られず、左に腫瘍があるまま過ごしていました。
斎藤先生との出会い
母が友人と偶然再会した時に、私の病気について、話をしたそうです。そして、その方が教会に通っていることを知り、周南プラザの奇跡の体験や斎藤先生について教えていただき、「もしよかったら会ってみない?」と言われたそうです。
母からその話を聞いて、斎藤先生に是非お会いしてみたいと思いました。数日後、斎藤先生にお会いしに『エンジェル』へ行きました。斎藤先生を見た時、自然と目頭が熱くなり、涙がこぼれそうでした。そして今までの苦しみを憐れんでくださり、抱きしめてくださいました。
その時、今までの辛さなどから解放されるように涙が止まりませんでした。ケアをうける度に本当に不思議なことがおきていました。凄い特別な力があるのだなと心で思っていました。
それからお祈りやケアをしていただき、体育での激痛も消え、体重も減り、ずいぶん体が楽になりました。検査結果も初めは大きい時で七センチあった腫瘍も三センチになり、腫瘍マーカーも93まで上がっていたのが、63まで下がっていました。
その恵みを多くの人に伝え、沢山の人が救われるように周南プラザにのるという話をいただいたのですが、「私はまだ学生だから卒業するまで待って下さい」と断ってしまいました。先生は「沢山の人が救われる為に特別にケアをしているのにのらないのならケアはお休みさせて頂きますね」と言われました。
すると、痛くなくなっていた体育での痛みもまた出てしまい検査結果も腫瘍が六センチと八センチの二つになり腫瘍マーカーも600(正常な人は35)まで上がってしまいました。
その時、周南プラザにのらなかったことをひどく後悔しました。そのことを先生に伝えると、すぐに私の手を取り笑顔で「大丈夫よ。」と言って下さいました。
「この次は、先生が言われるとおり何でもしますのでケアケアをして下さい」とお願いしてケアをして下さることになりました。
先生は会うたびにお祈りをして下さいます。主から特別な病気を治す力を与えられた方です。
一週間後の再検査には担当医に腫瘍マーカーが1000以上あがっていてもおかしくないと言われていたのに205まで下がり、MRI検査の結果も悪性転化していないということでした。
その後の検査では、腫瘍が二つあったのが五センチのひとつに減り、四センチまで小さくなりました。その腫瘍マーカーも順調に205から147、147から107まで下がっていきました。
私は何の治療もしていないので、担当医も毎回驚いていました。腫瘍というのは、自然と小さくなることはない病気です。それが、どんどん小さくなっていくので、周りも驚いていました。
四月五日の主日礼拝の時に斎藤先生にお誕生日プレゼントをお渡ししました。その時に斎藤先生が「腫瘍は、もうなくなっているよ。今度、病院に行った時に病院の先生から「腫瘍は、なくなっている」と言われるよ。」と言われました。
その時には何を言われているのかわかりませんでしたが、四月十六日に病院で検査をすると左にあった腫瘍がなくなっており、もう正常な卵巣です。
その結果を聞き終え、椅子に座った瞬間、感謝で涙が溢れでました。どんなに病気が辛くても涙を流したことがなかったのに、思わず病院で母と二人手を取り大声でなきました。
私達親子を導いて下さった神様、主イエス・キリスト様、斎藤先生に会えなければ私はずっと病気の辛さを抱え、苦しみの中に生きていたと思います。
本当に心から感謝の気持ちで一杯です。これからも、母と一緒に教会に通い、しこの喜びを多くの人に伝えていきたいと思っています。本当にありがとうございました。
斎藤恵子先生と生田亜弥さん
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